今も昔も合宿免許 激安の良さに変わりありません

2割、3割アップの間違いではない。 ほんとうに2倍、3倍にも業績を伸ばしていくことができたのだ。
社員を育てて仕事を任せられるようになったことに加えて、借金のプレッシャーがかかったために、気合いの入れ方がそれまでとは格段に違っていたことが、何よりの原動力だったと思っている。 こうして練馬区豊玉中の環7沿いに新社屋を建設したあと、売上高が増大していくにつれて、社員の数も次第に増えていった。
これには、当社が単に利潤の多い「優良企業」になったからというだけではなく、それまでにはなかった「人を育てる」という、もうひとつの企業理念が加わったことも大きいと思う。 私かこのことの大切さに気づいたのは、大きく分けて、2つの契機があったからだった。

新社屋の建設が決まり、さて、どうやって運営したものかと私と妻の2人で思案していたときの話である。 1968年(昭和43年)、西ドイツ(当時)のKaV0社を訪問した折の記念写真。
同社の徹底した品質管理には、目を見開かされる思いだった。 例年、私の誕生日の1月11日には、当社が取引をお願いしている株式会社Cージーから花束を贈っていただいているのだが、その年の誕生日に限って、いつまで待っても届かないのである。
Cージーも今年から経費節約することにしたのかな……などと思ってその目を過ごしていると、その代わりに、なんの前触れもなく、私を訪ねてY中清直という人がやってきたのだった。 それまで彼は、主に歯科用の医薬品や医療用具を製造する「Nオ製薬工業」という会社で、専務取締役を務めていた人たった。
Nオ製薬の社長も名指しで彼を次期社長と一心‥つていたのだが、このたび、そこに社長の息子さんが入社されることになったので、自分から身を引いて退社したというのである。 つまり、その挨拶に、わざわざ私を訪ねてきてくれたというわけで、Y中氏とは、その20年ほど前の昭和40年頃、私かヨーロッパ旅行をしたときに知り合い、昭和53年の小竹町のショールーム完成の折にも司会をお願いしたことなどはあったが、それほどたびたび会っていたというほどでもなかった。
だから、私にとって、彼の来訪はまったく思いがけない出来事だったのである。 話をしているうちに、私も、さすがにNオ製薬で専務まで務めた人だけあると思い始めていた。
それで、「もし、よかったら、履歴書を持ってきてくれないか」と言うと、彼は、「日にちと方角がよかったら、持ってきます」と、なかなか私好みの返事をしてくれたのだった。

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